小さかった頃、私が発達障害だとは知らなかった頃は、パティシエになりたい夢がありました。
お菓子作りの本を買ってはレシピを見ながら、家でよく作っていました。
あの頃は自分が発達障害とは知らなかったので、純粋無垢で夢があったな...。
パティシエになりたいという夢のきっかけは、テレビでパティシエの特集を観たのがきっかけ(だと思います。)
発達障害者の夢の断念
いま大人になり病名を知り、加えて不適応障害から様々な症状で「生きにくい私」には、本当に昔の夢になってしまいました。
何もかもあきらめたら、かえって気が楽になる。
「子供の頃の漠然とした憧れの職業や夢が叶う人なんて少なんだから」 と・・・
そもそも、私のスペックでは叶わぬ夢だったのかもしれません。
発達障害者の苦手なこと
例えば、「テーブルの上のりんごを取ってきて」と指示されたとします。
発達障害(当時は病名診断されずにいました)の私は、単なる「りんごを取ってきて」という指示に対し目まぐるしい思考が一瞬に頭の中に渦巻きます。
大人の発達障害者の頭の中
- 右足に重心をかけて踏み出す。次に左足と歩く。
- テーブルの前で止まる。
- りんごを見る。手を伸ばす。掴む。持つ。
- 角にぶつからないように振り向く。
- 再び足に重心をかける。右足→左足→右足...
- 依頼人の前で止まる。目を見る。
- 落とさないように渡す。
一般の人には「たかが、りんごを取って来る」ことに対して、発達障害の私の脳内はフル回転しまうのです。
これが日常茶飯事ですので、何かを指示されることが苦手で過剰に疲れます。
その疲れの連続性が、私の「生きにくさ」でもあります。
だから外に出るのも恥ずかしいし、ずっと家に居たい。
具体的に、子供の頃に苦手だった体育を例にとってみます。
苦手だった体育の思い出。
小学生の頃、自転車の乗り方を覚えるのも遅かった。
6年生でやっと補助輪なしでこげました。
ドッジボールが怖かった。
ボールを目で追う恐怖、男子の強い投球、当てられる痛みが暴力に見えて仕方なかった。
持久走、途中でリタイア。
50メートル走、10秒以内に走れません。
リレー、バトンタッチができません。
テニス、ラケットの持ち方が違うと毎回怒られた。
水泳、何とか泳げていた。
球技、理想の場所に入りません。
団体競技の球技大会では、「お前のせいで負けたんだぞ。」と、同級生に責められました。
試合後教室に戻ると、蹴られた横倒れの机、独占されたロッカーなど、体育会系生徒の嫌がらせがありました。
教室に居場所がないので、トイレで弁当を食べてました。
教師に報告して保健室で食べさせてもらった苦い思い出ばかりの体育でした。
高校中退後、転入した通信制高校は体育がなくて助かりました。
履修科目が「保健・体育」でもほとんどが読み書き、保健の割合だったことは助かりました。
現在の発達障害者の夢と苦手なこと
今は特に夢など抱けない状況で、一日をやり過ごすのが精一杯です。
だから夢なんかないし、これからも夢を描くことはないかもしれない。
でも崖っぷちの毎日でも、「諦めたら試合終了」なんだと言い聞かせながら・・・
楽しいことだけに逃げて、努力をしないとはまた違うのです。
なるべく生きにくさを感じないように、毎日をやり過ごすようにしてます。