職場(作業所)へ行きたくない。
私は外で働きたくない。
発達障害で適応障害の私に安心できる居場所はない。
どこにいても社会に適応させるための「戦」となってしまう。
私に対する職場での誹謗中傷はもう沢山。
パワハラなどの各種ハラスメント、言葉の暴力。
大人の発達障害の孤独感
私は周囲のハラスメントに不快な思いや孤独で寂しい思いをさせられても、それに抗うことができないわけだから、それならば一層のこと自分が居なくなってしまえば早い話なのにとさえ思ってします。
「そうまでして生きたいのだろうか」と、思う時だってある。
きっと私のような大人の発達障害で社会不適応の方々は、少なからず同じような思いをしているはず。
それを自分の中でどううまくコントロールや処理しているのだろうか。
私の壮大な「戦」を自分でコントロールすることは難しい、制御不能。
そういうわけだから、どうしようもなく耐えなくてはならない状況は続く限り、大人の発達障害の孤独も続く。
家族とのコミュニケーション
家族が急かすからな、国民健康保険の世帯分離手続きをしないといけない。
療育手帳は情報不足のため未所持なので、精神障害福祉手帳2級を所持、障害者年金の審査は通らなかった。
行政も手に負えないグレーゾーンだった。
というわけで、いつまでも家族の扶養でいる訳にもいかないことも百も承知だけど、何事も「急かされる」ということが発達障害の私には、喉か詰まるほど息苦しくなる。
「急いでしなくてはならない」こと自体が私の焦燥感を高める。
全身の毛穴から汗が吹き出しそうな焦りを感じる。
たかが、国民健康保険の世帯分離手続きなのだけど、「急かされることは苦手」
家族も私が「発達障害・適応障害」ということは知っているはずなのに、なぜ私の全身の毛穴から汗を噴出させるのかと・・・円滑にいかないコミュニケーションに憤慨したりもする。
そんな時も大人の発達障害者として、孤独を感じる時です。
ただし全身で焦りを感じているというオマケつき。
孤独に慣れよう
支援の少ない発達障害者は孤独に苛まれる。
外出すれば関わりたくないと仏頂面だらけ。
そんな空気を感じて孤独を感じる時は、呪文のように自分に問いかける「焦るな、焦るな」と。
「急ぐことは何ひとつない、周囲を気にするから孤独感が浮き彫りになるんだ」、と。
大人の発達障害の孤独感を埋めるには、「孤独さえ愛する女」であること。
そしてインターネットの大活用。
寝ながらできるスマホに感謝。
よい時代に生まれてよかったと思う。