人生というのは、一つの歴史であるとも言えます。
その歴史を、このように文章に書き記そうとすると、とんでもない文量になります。
しかし現実には、大体200ページ前後で自伝を出版されている方がほとんどです。
なぜかというと、人が本を一冊書き上げようとする際には、記憶に残っている出来事のみを書き記すからです。歴史の教科書と同じですね。
自伝を比べると、その人生の幸不幸の波が、その出来事によって上下しているように見えます。
幸せか不幸せかというのは、書き手の主観で決まります。
そのため、読者が読んで「なんて悲惨な人生なんだ」と感じたとしても、筆者は「波乱万丈であったが、結構良い人生だったじゃないか」と、自身の人生を記しているうちに、振り返るとそう思っているかもしれません。
今日は、発達障害をもつ私が感銘を受けた、岸田ひろ実氏の著書「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」の内容に触れながら思うことを書いていきたいと思います。
感想というよりも、岸田ひろ実氏の著書と私の思い、あるいは近年の出来事などを重ねたものを書いていくので、いわゆる「ネタバレ」ではないかと思います。
今回の記事をきっかけに、岸田氏の著書に触れてもらえるのであれば幸いです。
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ママ、死にたいなら死んでもいいよ 娘のひと言から私の新しい人生が始まった [ 岸田ひろ実 ] |
子は家族を選べない
「親は子を選べない」と言いますが、子供の方から見ても同じことが言えます。子供も、親や家庭環境を選ぶことはできないのです。
それどころか、「家族」という極めて閉ざされた環境下において、最ももろくて弱い存在であるため、環境改善などをすることもできません。
子供という立場は、本当に弱いものなのです。
だからこそ、親というのは子供を可愛がり、時には叱ることで、社会性を身につかせていき、コミュニティでも円滑な人間関係を築けるように育てていくのです。
ですが、全ての親がそうではありません。
岸田ひろ実氏の場合、父がアルコール依存症で、祖母がうつ病を患っているという家庭環境でした。
アルコール依存症というのは、私達が考えている以上に深刻な病である事はあまり知られていません。
「お酒を家に置かなければ良い」と考えるかもしれませんが、アルコール依存症の患者は、例えば料理酒やみりん、果ては消毒用アルコールなどにも手を出そうとするのです。
家族がそのような状態に陥ってしまった場合は、アルコール依存を専門とするクリニックなどに通院させたり、入院させるのが最良なのですが、なかなか難しいものです。
特に、アルコール依存によるDVなどが行われている場合や、いわゆる共依存的な関係に陥ってしまっている場合は尚更です。
例えば、同じく元夫がアルコール依存症であった漫画家・西原理恵子氏は「離婚」という道を選択することで、元夫がアルコール依存を治療するきっかけになりましたが、この離婚を選択できる人は、なかなかいません。
岸田ひろ実氏の場合、母親ががむしゃらに働く様子や、父親が何かにつけて物を買ってくれるというような描写がありつつも、やはりアルコール依存患者のように、父親は家庭内で暴言などを吐くことが日常となっているようでした。
しかし、岸田氏が大人になって母親に事情を聞いてみると、本人はつらいなどと思っていなかったのだそうです。
先述のように、他者を自身が見た場合と他者が主観的に見た場合というのは、全く異なるものなのです。
だからといって、安心するのはどうかと思いますが、少なくとも「子供を安心させるための家庭環境」というのは、親が最初に用意しなければならないと思います。
ですが、異常な状態を異常と思えないという環境が存在することもあるので、難しいのです。
障害のある子をもつ親
岸田ひろ実氏は結婚後、子供をもうけるのですが、長男が知的障害をもって生まれました。ダウン症です。
知的障害は、染色体異常などで生まれるもので遺伝性はなく、1000人に1人の割合で生まれてきます。
かつて、こういった障害をもつ子が生まれると、産婆さんが家族に告げるよりも前に殺してしまうこともあったようです。
例えば、手塚治虫氏の医療を描いた漫画「ブラックジャック」では、子宮外妊娠の末に無脳症の子が生まれるという話があります。
その際、ブラックジャックは「そのカエルみたいな脳みそのない子が、どんな一生を送るというんだっ!?殺せ!!」と叫びます。
そして、「医者はな、時には患者のためなら悪魔にもなる」と言い放つのです。
今でこそ医療技術が発達し、無脳症のような大きすぎる障害をもった子であっても、長く生きられるようになりましたが、当時の技術では難しかったのです。
そして、価値観も全く異なります。医者自身が、「この子は生きて苦しまないか、親は苦しまないか」と苦悩するのです。
これは優しさから来るものでしょうが、その優しさですら、人を悪魔にしてしまうとは、悲しいことです。
今ではそういった事はありませんが、例えば、戦前生まれの人が祖父母である場合、「うちに今までこんな子は生まれなかった」と言って、嫁や旦那に責任を押し付けようとすることはあるようです。
障害をもつ子を育てる親というのは、将来的な金銭問題だけでなく、身内で語られる風評と戦う生活を余儀なくされるケースがあるのです。
障害者かどうかが分かる時代になって
今現在、生まれてくる子供が障害者か否かということが、検査で分かる時代になりました。
これについて声が大きいのが、「否定派」です。
「命を取捨選択するな」「人間に生殺与奪の権利はない」などと言ってきます。
しかし、ここには障害者の親となる人達の気持ちが全くありません。
自分の子に障害があると分かった時、簡単に「生かす」「殺す」という決定をできる人はいません。
「育てる」という決意をすることは、自身が死んだ後のことを一生考えて生きていかねばなりません。
実際、障害者の家族は苦悩しながら日々を過ごしていることは、珍しくありません。
どんなに裕福な家庭であったとしても、財産を管理できる能力が身につく可能性は極めて低いので、それを狙って詐欺師が集まってくると考えると、不安になります。
また、中絶を選んだとしても「自分達の都合で赤子を殺してしまった」という罪の意識は、そう簡単に消えるものではありません。
そんな中で、外野が外野の意見を押し付けようとなっていくと、生き地獄というほかありません。
もし、お腹の子を検査することが「神への冒涜」だと訴えるのであれば、そう主張する団体が「障害をもつお子さんが生まれてきたとしても、金銭的・精神的にもバックアップしていきます」と、責任を負わねばなりません。
逆に、検査の結果、障害をもっていると分かった際に「殺すべきだ」と主張するのであれば、その両親と共に一生、罪を背負っていく覚悟がなければなりません。
外野の人達は「責任を背負うことはしない」ので、口出しをすべきではないのです。選択の責任を負うのは、その子の両親なのですから。
突然やってくる大病
近年、ある急性の病が話題になっています。それは「大動脈解離」です。
大動脈解離とは、大動脈の中膜という部分が剥がれてしまい、そこに血液が流れ込んでしまうという状態を言います。
血液の流れが2つできてしまっている状態ですが、血流は遅くなってしまうため、非常に危険です。
何の前触れもなく、突然襲ってくるのがこの病気の最大の特徴で、激痛を伴います。
大動脈解離が発生した初期の段階でも、非常に危険です。
血管が裂けてしまっている状態なので、血管がもろくなっているからです。
つまり、破裂する可能性が高いのです。
大動脈解離は死亡率の高い病です。岸田氏もこの病に襲われます。
不幸中の幸いだったのが、彼女の場合、周りに家族がいたという点です。
家族がいたことで、早い段階で救急車を呼ぶことができました。
誰かがいるというシチュエーションの中で病に襲われるのは、実はかなり低い確率だそうです。
ほとんどは、周りに誰もいない時に症状が出るのだそうです。
これがもし、人のまったくいない夜道などで起こってしまうと、助かる可能性は絶望的と言わざるを得ないでしょう。
病というものは、ある日突然、何の予告もなくやってきます。
日々健康に気を遣っていたとしても、体の衰えなどで発病のリスクは高まります。
もしも運転中に…
大動脈解離で最も怖いのが、車の運転中に起こった場合です。
岸田氏の場合は、近くに家族がいる場所で発病しましたが、近年「自動車運転中に大動脈解離に襲われた」というニュースが何度かありました。
一つは今から二年前、大阪の梅田付近で自動車が暴走し、多くの歩行者をはねてしまい、死者が出てしまった件です。
暴走車の運転手は、運転中に大動脈解離を発病してしまったのです。
病気が原因なので、誰が悪いという話でもないのです。
この時ニュースでは、「何故サイドブレーキを引くなどしなかったのか」と言っていましたが、激痛に襲われている状態でパニックを起こしている最中に、そこまで冷静に対処できる人は、果たしてどれくらいでしょう。
昨年の11月、アンパンマンのドキンちゃん役やメタルギアのナオミ・ハンター役でも知られる声優の鶴ひろみさんが、運転中に大動脈解離を発病させてしまいます。
それも、高速道路で走行している最中にです。
大事故を招きかねない危機的状況で、彼女の場合、激痛に苦しみながらも車を路肩に停め、更にハザードランプを着けたのです。
結果、鶴ひろみさんも亡くなられてしまうのですが、こういった一連の行動が大事故を防いだことは言うまでもありません。
激痛に苦しむ最中、仕事柄か「人を傷つけてはいけない、自分が演じたキャラクターを汚してはいけない」という思いが働いたのではないか、と思います。
死の寸前まで人間というのは試されるのだと感じました。
生きることができたとしても
大動脈解離のように重い病気というのは、生還できたとしても、今までの生活には戻れないという場合が多いです。
岸田氏の場合は、下半身不随という障害でした。
今まで当たり前のように歩いていたにも関わらず、それができなくなる、これほどの焦燥感と恐怖は当事者にしか分かりません。
人間というのは、自らの足で歩くという行為をしてこそ、人間足りうるという「意識」がどこかにあります。
だからこそ、突然できなくなることは、天地がひっくり返ったように苦しいことなのです。
岸田氏も、この現実に恐怖し焦燥してしまいます。
大病と戦った後、五体満足で今までのように暮らせるというケースは珍しい、ということを知る人は少ないです。
例えば、「心臓病を患っているのであれば心臓移植の手術をすれば良いではないか」と、安易に考える人は多いと思います。
しかし実際には、移植が完了した後、数年で亡くなることは多いのが現状です。移植された心臓に、体が拒絶反応を起こしてしまうからです。
このように、大病と戦ったというドラマは「美談」として語られますが、その後も戦いは続いていくのです。
その戦いは苛烈を極めることが多く、特に岸田氏の場合は、日常生活そのものが一変してしまっているため、彼女の戦いは過酷なものになると言わざるを得ないのです。
「死にたい」と思う気持ち
こういった大きな障害を背負うと、誰もが「死」という選択肢を選びたくなります。
以前に、安楽死に関する記事(日本人の7割が安楽死に賛成の実態について 発達障害をもつ私の捉え方 )を綴らせていただきましたが、安楽死において最も結びつきやすいのが「不治の病」や「重すぎる身体障害」なのです。
生まれつきではなく、突然身体障害となった場合、体だけでなく精神にも深い傷を負います。
そのため、二次疾患としてうつ病などを発祥しやすい状態になるのです。
そうなると一層、「死にたい」という感情は強くなっていきます。
そういう思いを、私達が「ダメだ」と否定することは、簡単なことです。
しかし、生きていくそのものがつらい本人にとっては、非常に過酷でつらい「他者からの否定」なのです。
安易な否定は、時に人を大きく傷つけ、絶望に叩き落してしまいます。
一度絶望に落ちると、そこから這い上がるのは難しいです。
「死にたい」という気持ちすら潰された時、言われた側の心は「虚無」という絶望で満たされます。
その結果、本人は心を押し殺しながら生きていくことを余儀なくされるのです。
毎日つらい日々を、半ば強制的に強いられる。まさに「生き地獄」というほかありません。
ですが、「死にたい」という気持ちすら潰されてしまうというシチュエーションは、少なくはありません。
では、岸田氏の場合はどうだったのでしょうか。
身体的障害と周囲の心遣いと
岸田氏は娘さんに、「死にたい」という気持ちを打ち明けます。
そこで返された言葉が「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」なのです。
これは、相当に勇気のいる返し方ですが、決してネガティブな意味でこの言葉を返したわけではありません。
ここで詳しく書き記すことはしませんので、いったいどういう意味でこの言葉を発したのか、ご自身の目で確かめていただければ幸いです。
この件と深く関わってくる内容なのですが、身体障害というのは周りの人達の心遣いというのが非常に重要な役目を果たします。
今現在、日本においては、バリアフリーが完全に普及しているとは言い難い状態です。
特に、歴史的建造物や個人商店といった、歴史資料として手を加えられない建物だったり、あるいは資金的に難しいという場合が、日本の場合は多いからです。
長い歴史を守るということは、こういったジレンマに悩まされることもあります。
岸田氏も、そういった不便さに直面したことがあります。
ですが、彼女の場合は、その不便さを解消しうる要素に巡り合っていたのです。
それが「人の心遣い」です。
車椅子での入店が難しい店である場合、事前に連絡してみると「うちの入り口は段差が〇センチほどあります、スタッフが手伝いますが、それでもよろしければ是非いらしてください」と提案してくれたそうです。
また、個人経営のラーメン屋さんに入店した際は「低い椅子はないなぁ…あっ、そうだ。」と、子供用の椅子を出してくれたそうです。
このように、建築におけるバリアフリーの普及が少なかったとしても、人々の心はバリアフリーな状態になるのです。
このことは、岸田氏の精神を救っていくことになります。
ほんの小さな提案や心遣いでも、困難にくじけそうになっている人を救う手立てになるのです。
まとめ
今回は、岸田ひろ実氏の著書の内容に触れながら、記事を書かせていただきました。
単純な感想ではなく、彼女の直面した問題に、より深く触れてもらえればと思い、このような形になりました。
人生は長いものですが、つらくなるかどうかは気持ち次第で大きく変わっていくものと言います。
岸田氏の人生はまさに「激動」でありますが、彼女からすれば豊かな日々なのではないか、と著書を読みながら感じました。
自分と違う人生に触れる方法は、今回のような自伝を読んでみることです。
実際に読んでみると、自分の価値観や思想とは異なりながらも、懸命に生きる人達の思いが見えてきます。