いつも来てくださる皆様、今日も読んでくださりありがとうございます。
ん゛んああああああああぁぁぁ…
すみません。スマホでは装飾がやりづらい。首がこる。
パソコンが手元にあれば、スムーズにブログ更新できるわな…。
今ね、オカンとオトンのいる実家に引っ越して来たんだ。
精神的パニックに陥って、OD(オーバードーズ)しました。
死のうとしたんだ。長年、うつ症状と付き合って、もう手遅れだと感じたの。
発達障害者の自分に未来はないと感じて。元気を出して生きるのに疲れたんだ。
よく「発達障害は個性だ」とか「みんな違ってみんないい」と聞くけど、一生食べていける金があれば、個性で通るよ。
人は自分のことさえ理解できているとは限らないのに、他人のことなど理解できるわけがない。
平和な世界になるには、互いに理解不能と干渉せず、金で自由に生きていくこと。理想の社会だ。
金があれば障害は「個性」だ。金があればね。
話が飛んだね。ごめんね。
精神科で処方された薬、睡眠薬、訳の分からん市販の薬を大量に混ぜて流し込んだ。
悲しくもなかった。涙も出なかった。
遺言書に「延命治療は望みません。」と書き残した。
発達障害による生きづらさから解放される。十分生きた。やっと死ねると微笑が浮かんだ。
…気がついた。気がついてしまった。見上げたら病院の天井だった。
実家から駆けつけた家族の姿が見えた。
後から気がついたんだけど、臨終病棟だった。
え…誰が見つけて救急車呼んだの?
ドタバタ音が近隣住民に聞こえて、運悪く見つかってしまったのね。
あれから自分はどうなっていたか、家族によると、急性薬物中毒で暴れていたらしい。
目はぐるぐる回り、支離滅裂な言動。救急隊員や看護師は、体を取り押さえるのに大変だったと言う。
様子を見ていた他の患者からは「やばかった。」と。
体中ありとあらゆる管を取り付けて、胃洗浄をしたらしい。
体は動けないように、ベルトで固定されていました。
自殺に失敗して、ぽっかり穴が空いた。
死ねなかった。死ねなかった。
意思表示を無視された。無理やり蘇生させられた。
もう少しで死ねたのに。残念でした。
来てくれた家族は、あえて何も言いませんでした。叱責は慎もうとの厚意だった。
私も、当時は喋ることすらままらない状態でした。
「管を外すのはやめなさい。」と、手をパチンと叩かれたことぐらいしか記憶にありません。
入院生活が始まった。棺桶退院を覚悟した。
臨終病棟の看護師というのは、デリカシーを欠く粗野な人間達でした。
「ユリさん(実際は本名)はまだこの病棟にいるんですかぁ〜?」
何かにつけて私に「おかしい」だの、「気持ち悪い」だの。それでも看護師ですかと医療従事者らしからぬ発言が目立った。
客観的に見れば、直に死ぬ患者に情を注いでいては、時間とエネルギーの無駄だからね。ストレスのはけ口だったのだろう。
(退院日、ベッドの手すりに「看護師つらかったら辞めてもいいんだよ」と書き残してあげた。)
意識が遠のいてきた。
しばらくして、熱が出た。息苦しい。食事もろくに取れない。
見回りに来ていた医師に、胸の内を話した。
「十分生きたので、延命治療を止めてください。」
「安楽死を希望します。」
すると医師は
「私達は人を助けるのが仕事なので、そのような願いは聞き入れられません。」
「気を楽にして、治療に望んでください。」
と励まされた。
自力で外した点滴や管は、外れないようにテープで強く固定されました。
こんな私の姿を、海外の医師が見たら何と言うだろう?
日本は人口減少を防ぐために人を生かす。外国人を受け入れればいいものを、未だ純血主義を貫くのか。衰退すればよろしい。
翌朝、ローテーションで変わった別の看護師が驚いていた。
点滴を射している私の腕が、パンパンに膨れ上がっていた。
腕の付け根から指先まで、液漏れしたらしい。
前日の看護師達に問いかけたところ、「ユリさん(実際は本名)が自分でやった。知らない。」と返答。
点滴を射す部位を故意に間違えたそうだ。この時点で初めて、自分が嫌がらせを受けていたことに気づいた。
詫びに来てくれた医師と婦長の方に聞いてみた。
「発達障害者はやはり、生理的に受けつけませんか?」
医師は「いえいえそんなことないです。」と答えながらも、婦長に弁明を求める。気まずい空気と沈黙は続く。
婦長さんは早急に点滴を外して、ただれた皮膚に薬を塗り、包帯を巻いてくれました。
ありがとうございました。
次の日、病室が変わることになりました。
婦長さんのご厚意に感謝です。
日当たりのいい女性病棟でした。
担当の看護師の方達は、婦長から事前に話を聞いていたそうで、
「何かあったらすぐに知らせるんだよ!」
と、手を握ってくれました。
何と頼もしいことか。彼女達こそ、真の看護師の姿だ。退院日に会えなかったのが心残りです。
その後は意識も正常に戻り、今後についてどう過ごすか、救急外来と精神科の先生と話をしました。
大量服用した薬は致死量を超えていたこと、自殺の動機、過去の生い立ちについて話しました。
そして今後、薬を大量服用しないことを前提に、衝動を抑える頓服と軽めの睡眠導入剤を処方してくれました。
見舞いに来てくれた家族からは
「ご先祖様があなたに生きなさいと言って、守ってくれたんだよ。」
「実家に帰っておいで。」
と言ってくれました。
そして、実家への引っ越しが決まり、入院して5日後に退院しました。
ざっとこんな感じです。ブログ、ただいま。
毎日、風呂に入って体を洗えること、静かに眠れる床があること、好きなものを食べられることが、どんなにありがたいことか。
当たり前の幸せが身に染みました。
現在は、用のない限り外出を控えて、家の手伝いをしながら1日を過ごしています。
薬は両親に預かってもらっています。希死念慮が完全に払拭しきれるまで、長い年月がかかりますが、とりあえず散歩をしています。
心地よい疲れが、雑念を排除してくれるそうだ。
そうだ。うつを和らげる「セロトニン」という物資は、ほとんどが腸で生成されるそうだよ。
「第2の脳」と呼ばれる腸内環境を整えるといいらしい。
発達障害でも、二次障害のうつ症状が和らげば、少しは生きやすくなるかも。
本音は早死したい
遅くとも30歳までには、終いにしたい。
年老いてまで長生きしたいとは思わない。
「完全自殺マニュアル」という本を読んだことがある。
ただ、著者いわく、綺麗な死に方はないそうだ。
最期は人間らしく笑って、眠るように死にたい。
発達障害者は、将来どうなるんだろう?
当事者は就職しても、その大半は一年以内で辞めるのが現状だ。
親より短命と聞くけど、先に逝けるのだろうか?
「大丈夫」って見えないね。
「無邪気」ってどうしたらできるんだろうね。
「楽しい」って何?「気軽に」ってどうやるんだろう?
生かされている喜びが感じられない。
目の前のことに淡々と取り組み、今日も歩く。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
自己資産のこのブログは、大切にします。