オーストラリアの看護師、ブロニー・ウェアさんの著書に「死ぬ瞬間の5つの後悔」というのがあった。
I wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.
(他人の期待に応えようとするばかりの人生ではなく、自分が真に生きたいと思う人生を生きる勇気を持っていたかった。)
「一家で心中しようか。」
今日、私のオトンが言った。
そだねー。
…違った。失礼しました。すみません。
発達障害のある子供をもつ親にとって、我が子が働きたくても雇ってもらえない現状を目の当たりにすると、落ち込むわな…。
仕事を定年退職して、悠々自適なセカンドライフを送るつもりが、考える余裕ないわな…。
どんより。空気が重くなる。
今ね、障害年金を受け取れないか、社会保険労務士に交渉しているところ。
ただ難点は、過去の精神科受診のカルテが残っていない(または破棄された)、発達障害と二次障害の度合いが軽い、ということ。
医師いわく、障害年金は「諸刃の剣」と言う。
年金を受給することで、病院ヘ通院しなくなる患者がいるそうだ。
福祉を食い物にする不逞の輩だ。
医師がもう一つ危惧しているのは、年金を受給することで「はい、あなたは障害者です。」とレッテルを貼ってしまうことらしい。
…先生やめて。「外相整えて内相自ずと熟す」とあるけどね、あるけどね、健常者のように振る舞うのにも限界があるのよ。
発達障害の特性は十人十色だから、診断基準は主治医による。
これらの件があり、病歴10年以上にも関わらず、年金受給の交渉は難航している。
主治医による「見極め」の期間が必要だ。望みは薄いが…。
オトンのどんよりとして生気のない目を見て思った。
私がOD(オーバードーズ)したあの日、「助からなきゃよかった」と。
十分生きた。一人分の養育費が減れば、家族の負担軽減になるだろう。
人が死んだ悲しみは、時間が癒やしてくれるよ。
結婚すらできない私が唯一できる、親孝行。
「あの日、私、助かっちゃって良かったのかな?」
オトンにさりげなく言ってみた。
「何て言ってあげればいいか分からないけど、親より先に命を絶つようなことはやめてね。」
と、オトン。
世の中「人生この辺にしときまーす。はいどうぞー。」とまではいかないのか。
主治医からも「薬を大量服用したり、自傷行為はやめてください。」と固く指導を受けた。
何故そうまでして生にしがみつく必要があるんだろう?
死ぬことは本当に悪いことだろうか?
社会の負担は無論、自分の負担を減らすために。
腑に落ちない。
また暗い内容になっちゃったね。いけんね。明るい話題を1つ。
最後に、小林正観氏の著書「ありがとうの神様」に、花粉症を例にした一節があったので紹介します。
面白いことに、「生きているのはつらい、悲しい、つまらない」と思い続けていると、「そんなに生きているのがつらいのであれば、じゃあ、早く死んじゃいましょうね」と、病気になります。
その反対に、「生きているのが嬉しい、楽しい、幸せ」と言い続けていると、どんどん元気になっていきます。
どうも身体の状態は、心の方向性によって決まるようです。
例えば、花粉症。
完全主義者の人は、完璧に物事をやらなければ気が済まないと思っている人です。
そのせいか、スギ花粉が目の前を通り過ぎて行く時に、どうも黙って見送ることができないみたいです。
見逃せばいいのに、全部吸い込んでおかないと気が済まないらしい(笑)
「ほどほどに、自分の能力に見合った自分の生き方をする」ようにすると、花粉症の症状が緩和されることがあるようです。
今日も最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。