障害をもつ人が身につけるヘルプマーク、妊娠中の女性のマタニティマークなど、外出する際に援助を必要とする「意思表示」を身につける人がいます。
社会の認知度を広げるため、啓発活動も兼ねているそうです。
ですが、神奈川県相模原市の障害者殺傷事件の影響を受けて、意思表示を取り外す人が増えました。
「加害者はよくやってくれた」
「彼はヒーローだ」
障害者は不幸を作ることしかできない。加害者の発言で、障害者抹消説が支持される風潮になりました。
「標的にされるのが怖い」
「座敷牢行きだから」
「身につけても誰も助けてくれないから」
行政や援助を受けられないグレーゾーンの発達障害・適応障害者にとって、更に生きにくい世の中となりました。
道のど真ん中で倒れない限り、誰も助けてくれない
私自身も、周囲から意思表示を外すよう指摘を受けました。
「はい、私は障害者です。」という顔をしないでほしいと言われました。
1人身につけて外出したとして、どこの誰が声をかけて助けてくれるか、社会は甘くない。身につけて堂々と出歩くものではないと、注意されました。
盲目の人が電車に跳ねられる事故、赤ん坊の泣き声に耳栓を取り出す人、電動車椅子に乗っていた人が踏切に挟まれる事故、現場のギャラリーは普段、どんな目で当事者を見ているのでしょう。
この間、電車の駅で「これは〜駅まで行きますかっ!?」と、大声で助けを求める女性当事者がいました。
私は向かい側のホームだったので、助けられませんでした。求められる周囲の反応を観察します。
その女性は車両を転々として援助を求めましたが、ほとんどがスマホユーザー。車掌ですら、誰も見向きをしませんでした。
女性は強引に近くの男性陣に問いかけて、何とか聞き出せていました。
グレーゾーン当事者は、行政の援助を受けられないゆえに、外に出かけざるを得ません。安心は金で買う時代となりました。
そもそも当事者が人を助けられない…。大口叩けない。
生かされる当事者の命って、何なのかな。
海外では、盲目の人が横断歩道で信号待ちしていると、多くの人が当事者の肩に手を添えて、青信号を知らせてくれるというのです。
発達障害者は見た目は健常者なので、まず敬遠されるでしょう。そのために援助や意思表示が必要になってくるのです。
どこにいても迷惑になるのなら、喜んで安らかに眠れる制度を嘆願するのですが、武器のない日本では、切り捨てられないのが現状です。