付き合いにくい発達障害者は、孤独です。
そんな中、何も言わずに抱きしめてくれる理解者がいることは、不幸中の幸いです。
今日は、オーストラリアへ旅行に行ってきた知人の話をもとに、日本人に不慣れな「ハグ」について、お話しようと思います。
日本人に不慣れな“ハグ”の効果について
私達日本人にとって、海外のハグ文化というのはなかなか衝撃的です。
人と人とが抱き合うという行為は、恋仲の関係と直結するものと考えてしまうほどです。
しかし、海外では挨拶として成立しています。
海外旅行で出会って仲良くなった方と別れる際、相手がハグをしてくれたのですが、やはり恥ずかしかったと知人は言います。
ですが、それと同時に心の奥が暖かくなるのを感じたそうです。
ハグというのは心身ともに良い効果を与えてくれるのではないかと思うのです。
リラックスの効果がある
ハグにはリラックス効果があることで知られています。
どういう仕組みかと言うと、ハグを行うと脳内でβエンドルフィンという脳内麻薬の一種が分泌され、その結果ストレスが和らぎリラックス効果に繋がるのです。
分かりやすい例は、泣き叫んでいる赤ちゃんがいるとします。
その赤ちゃんを、お母さんやお父さんが抱っこしてあげると直に泣き止み、キャッキャと笑顔を浮かべている状況を、見たことがある方は少なくないかと思います。
そして、お母さんやお父さんである方は実際に経験をしたこともあるかと思います。
特に夜泣きなどは、しょっちゅうそのような場面に出くわした親御さんも少なくないのではないでしょうか。
これは、親の腕に抱かれているから安心感があるという事だけが理由ではないのです。
抱っこされるということは、ハグをされているのと同じ状態になります。
すなわち、赤ちゃんの脳内でβエンドルフィンが分泌されているということになります。
このβエンドルフィンによって赤ちゃんもリラックス効果を得るため、泣き止むということです。
また、恋愛要素が強いドラマや少女漫画なんかで、失恋したヒロインを抱きしめる主人公というのは定番ですが、これも理にかなっているということになります。
ヒロインは主人公に抱きしめられることで、傷ついた心が癒されるのと同時に、βエンドルフィンの分泌によって、失恋によって得た過度なストレスを和らいでいるのです。
そこから恋愛につなげるのは本人の腕によりけりですし、相手との関係性を築いていないと相手を傷つけてしまうことになるので注意は必要ですが…。
ハグのもたらす効果というのは、このように実は人間の脳内に多大な影響を及ぼしています。
そして、脳への影響というのはすなわち「心」への影響を意味します。
心がすさんでしまった時こそ、ハグによってダメージを回復させてあげる必要があるのです。
コミュニケーションを円滑にする効果も
そしてハグは、コミュニケーションを円滑にしてくれます。
ハグ文化のある国に行った事がある人は分かると思いますが、彼らは距離感が非常に近いです。
ですが、不思議と嫌な気分では無いのです。
そのことが自然であるかのようにハグをしてくれますし、されるこちらも安心感を得ることが出来ます。
この時まさに、βエンドルフィンが出ていたんですね。
異性の相手でも、ハグ文化のある国では不思議と下心が出てこないのです。
そしてハグという行為を通したことで、ある程度の信頼関係を得る事ができます。
感覚としては、一緒にお酒を飲んだ間柄程度というのが分かりやすいと思います。
「親友」というほどではないですが「認められた」という感覚が近いですね。
実際のところ、本当の初対面でハグをするという人は少ないように思います。
私の知人の体験の話ですが、オーストラリアに半月ほど旅行で訪れた際、そこで知り合った人が友人を紹介してくれた際に、初めてハグを受けたそうです。
その知り合った人、仮に「ジョン」とすると、ジョンは初対面の知人に挨拶や会話はしても、ハグはしなかったというのです。
しかし、ジョンが紹介してくれた友人はハグをしてくれました。別れ際になるとジョンもハグをしてくれました。
知人が思うに、ハグは相手の人間性を客観的に見るための行為なのではないかと思ったそうです。
「友人が紹介してくれた」という事実があるからハグをし、今までの付き合いから相手の人となりを見た上で初めてハグをしたのではないかと思います。
つまり、初対面の状態の知人を、ジョンは他人として見ていたということになります。
そしてジョンの友人は、知人をジョンと友人関係にあると見てハグをしたそうです。
このように、ハグという行為はコミュニケーションを築く上で非常に重要な役割を担っていると言えます。
日本ではなぜ普及しないのか
日本では、このハグという行為は普及していないのが現状です。
日本人にとって、「抱き合う」という行為が特別なものだからと思います。
何故かと言うと、ハグする間柄というのは夫婦や恋人など、肉体関係と直結するような間柄でないと成立しないという意識があるからです。
例えば、男性が自分の母親とハグをしているところを他人が見ると「マザコンか」と思われることは必至でしょう。
女性が自分の父親とハグをしていても、「ファザコン」と思われるでしょうし、下手をすると「若いツバメ」やいわゆる「パパ」のような関係性と見られてしまう恐れがあります。
そして、このような意識は、私達日本人に深く根付いてしまっているのです。
親子間のハグですらこうですから、友人とのハグは尚更難しいですよね。
肌と肌が触れ合う挨拶というと、握手も該当します。
今では当たり前の行為とも言えますが、この握手という文化が根付いたのは明治初期と言われています。
欧米に留学へ行き、帰ってきた学生たちが握手を日本で行ったのが最初であるといわれています。
今思うと、「手と手を握り合う」という行為も、特別な間柄の相手と行う行為という認識の方が強いですよね。
そのため、アイドルとの握手会というイベントが成立してしまうほどですから。
日本において、身体的な距離が近く感じるような行為は、特別な関係を築いてから行うものという認識があるのではないか、と思います。
ですので、ハグはなかなか日本では受け入れられていないということです。
握手はある程度浸透していますが、たとえば初対面の相手から手を差し出されたら、少し困惑してしまいますよね。
実際に、海外の人が日本で初対面の人と握手をしようと手を差し出したら、相手に困惑され、出した手を後頭部に持っていってポリポリと頭を掻いたという話をよく耳にします。
海外と日本の文化の違い:契約と約束
ハグのように肌と肌を触れ合うようなコミュニケーションが日本で浸透しないのは、文化の違いが非常に大きいです。
その中でも根本にあるのが「契約」と「約束」に対する意識です。
これらは信頼関係を築く上でも非常に重要な要素です。
例えば、スマートフォンから新しいアプリをインストールしたり、新しいサービスを受ける際に、規約などを読み進めないと次の段階に進めないものが多々あります。
あの長々しい規約を、前文きちんとと読んでいる人は……いるでしょうか?
また、オンラインゲームなども、サービス開始前に非常に長い規約を読むことを矯正されます。
あのような長い文章は、適当にスクロールして「読み終えましたか?」という問いにいち早く「はい」と答えてしまう人のほうが圧倒的に多いことでしょう。
しかし、アメリカなどの欧米諸国では、本当に全文を読み終えて、理解してから次の段階に進むという方が圧倒的に多いのです。
「規約を読み終えるだけで2時間は潰れた」という方もいます。
また、約束に対しても意識の違いが見え隠れします。
例えば日本の場合、何か誘いを受けた際に、あまり乗り気でない場合「行きません」とはっきりと言う人は少ないでしょう。
多くの人は、「行けたらいく」「スケジュールを確認してから連絡する」というように、はぐらかすのではないでしょうか。
これは、「行きたくないけどはっきり言うと相手を傷つける」という考えがあるので、やんわりと断るための文句なのです。
しかし欧米の場合、この点もはっきりと断りを入れるか、了承するかのどちらかです。
欧米は、契約や約束は非常に重視しています。
特に、規約や紙の契約書は、穴が開くほど読み込むという人も多いそうです。
これは、欧米の民族達は個人主義の意識が遺伝子レベルで染みこんでおり、極端に言えば「他人は基本的に敵」と考えているからです。
そこで重要になるのが契約や約束、そして肌の熱を感じるほどのスキンシップなのです。
海外と日本の文化の違い:スキンシップ
海外では、スキンシップが取り入れられています。
ハグもその一つで、国によっては「ハグから頬擦り」という流れもありますし、頬にキスをするような流れが存在する国まで存在します。
何故ここまで距離感の近い挨拶をするのかというと、先述した「契約の重要視」があります。
欧米は個人主義的な思考が非常に強く、プライベートを大切にしています。
マイホームの各部屋に鍵が備え付けられている点から見ても、日本とは大きく異なると言えます。
逆に言えば、家族間であったとしても「自分以外は敵」という意識が働く、言ってみれば縄張りのようなものが存在しているといえます。
いわゆるプライバシーやプライベートというものです。
「自分以外は敵」という表現は過激かもしれませんが、欧米諸国、特に白人は「自分で土地を開拓して農地としてきた」という祖先が非常に多いです。
アメリカは言うまでもありませんが、例えば今のイングランドも、多くの移民が入り開拓してきた結果、今があります。
もともとはアニミズム、精霊信仰を持つ民族が住んでいたところに、アーサー王率いるブリテン人が入り込み、彼らに技術を伝え共存します。
しかし、次に入り込んできたアングロサクソン人は暴虐の限りを尽くし、土地を奪い、ブリテン人らを貧しい土地しかないウェールズに追いやります。
実際に、アングロサクソンの時代とブリテンの時代を比べると、ブリテンの時代の方が遥かに進んでいたという学者もいるほどです。
そして、次にやってきたデーン人らは海賊を生業とする人々です。
海賊たちが入り込んでくるわけですから、どうなったかは想像がつくことでしょう。
このように、欧米の歴史観を見ると「略奪」という要素が非常に強く、その略奪によって国すら変わってしまうほどです。
そのため、そのような悲劇が起こらないためにも契約が重要視され、「自分は敵ではない」という意思表示のために、ハグなど距離感の近い挨拶が誕生し活用されてきたのです。
「日本でも略奪はあった」と思う人もいると思いますが、日本の場合、国家がそっくりそのまま変わるほどの出来事が実際には起こっておらず、戦乱に民が巻き込まれるということはあっても、日本という国がなくなるということは起こっていないのです。
この違いは非常に大きく、故に「自分は敵ではない」ということを相手に証明する方法というのが大きく異なってくるのです。
海外と日本の文化の違い:村と個人
海外は個人主義が強い傾向にありますが、日本ではどうでしょう?
日本の場合、村意識が強いと言われています。
村とは、有力者を頂点とし、独特の風習で持って生きる集団のことを指します。
そのため、個人主義より団体主義的になるのです。
村社会のような場合、その村独特の風習や決まりごとによって、人と人との繋がりが保たれます。
その代わり、外部の人間に対しては冷たいという特徴もあるのです。
海外のような個人主義の場合、いくら個人主義とはいっても一人では生きていけません。
他者との繋がりを持つために契約書を用いたり、ハグなどのスキンシップによって関係性を築き上げていきます。
一方、村社会の場合は、人間関係が築かれている中で生まれるので、過度に他者との繋がりを積極的に求めていく必要がないのです。
日本では、親戚や隣人関係だけでなく、特に田舎では「誰かに家に子が生まれたら総出でお祝いをする」ようなことが今でもあります。
既に関係性が築けているので、肌と肌を触れ合うような挨拶を必要としなかったのです。
そしてもう一つ、村社会の中においてプライバシー空間とも言うべきものが存在しています。
それが、人と人との距離感なのです。
稀に、妙に距離感が近い人がいます。そのような人に対して、苦手意識を持つという人は少なくないかと思います。
このように、人との距離感というのを重要視しているのが、日本の村社会なのです。
今ではそこまで村的風習はありませんが、それでも距離が近すぎる人というのは苦手という人が圧倒的に多いと思います。
また、社会に出ると、特に営業の人は会社などでのマナー講習で「人との距離感」を学ぶという人は多いかと思います。
日本は人との距離感を重要視する社会であるからこそ、ハグという行為には強い苦手意識があるのです。
海外と日本の文化の違い:挨拶とボディランゲージ
ハグという行為は、スキンシップであると同時にボディランゲージの側面もあります。
ボディランゲージは、全く言葉の通じない国であったとしても、その動作で伝わるというものです。
海外旅行初心者を対象にした書籍にも、このボディランゲージについて記載されていることが多いそうです。
言葉が分からなくても、体の動きで相手に伝えることができるというのは便利なものです。
ボディランゲージは、その国の風習と一体となっていることも多いのです。
特に、ヨーロッパのように陸続きになっている国は、同じボディランゲージが同じ意味を持つことも多々あります。
その一つが、ハグです。
風習としてハグが存在している国であれば、挨拶としてハグを求める動作をします。
すると相手もそれを読み取り、ハグに至るのです。
このように、ボディランゲージは海外の挨拶の中に組み込まれているといっても過言ではないのです。
では、日本の場合はどうでしょう。
日本は、最も代表的な挨拶は「お辞儀」です。
初対面相手にも「よろしくお願いします」とお辞儀をしますよね。
しかし、昔からよく知っている相手にも同じお辞儀をします。
これ以外で体を用いる挨拶というのは、あまりありません。
そのほかの挨拶は「こんにちは」「おはようございます」というように、言葉に依存したものの方が圧倒的に多いのです。
つまり、日本の挨拶の場合はボディランゲージが少ないと言えます。
これは、日本が海に覆われた島国であることに起因します。
他国から見れば、独特の風習であったとしても、日本はほとんど内需、国内の需要でのみ経済を発展させてきた為、その風習だけであっても不自由がなかったのです。
ハグや握手など、肌と肌が触れ合うような挨拶や、体の動作を用いる挨拶には戸惑いを覚えてしまい、なかなか浸透しないのです。
特にハグは、人との距離感がかなり近くなるので、受け入れられるのは困難でしょう。
ハグは信頼の証明
ハグという行為は、信頼を証明するための行為であると言えます。
肌と肌を重ね合わせ、相手の体温が伝わるほどの行為というのは、日本人の考えかもしれませんが、よほど信頼の置ける相手でないと、することができません。
日本の場合は、恋人のような相手と周囲の目に触れないところで行います。
しかし欧米の場合は、友人とも当たり前のようにハグを行います。
人の目に触れる所でも、問題なくハグを行います。
日本では一層、信じられないことでしょう。では、何故こうして公衆の面前で行われるのでしょうか。
ハグ文化として根付いているからかもしれませんが、公衆で行うことで他の人もそのハグをしている光景を見ることになります。
そうすることで、「あの人たちはハグ文化を共有している人間だ」と認識することができます。
他者にそのように認識させることによって、信頼性の証明にも繋がるのです。
つまり、公衆でハグを行うというのは、第三者に自分たちの安全性を証明し、信頼性を得やすくするための手段であると言えます。
文化として根付いている以上、そういった一面もあることは間違いないでしょう。
ハグはそもそも、どこ発祥の風習?
ハグという風習は、いったい何がきっかけでどの国の風習が発祥なのでしょう。実は、騎士が行ったのが最初であると言われています。
戦場で生き残ったことを仲間と喜び合ったり、あるいは互いの気持ちを高めあい全体の士気を向上させるために行われたのが最初と言われています。
戦場というのは、自分の命を落としかねない状況ですから。ストレスが溜まるシチュエーションです。
だからこそ、ハグという行為が非常に重要であったことが推察されます。
戦場という死と隣り合わせの場では、兵士は心を落ち着かせるためにβエンドルフィンを分泌させるハグという行為は重要と言えます。
また、指揮官としても兵士の平常心を保たせ、そして士気を上げることにも繋がるので、積極的に行わせていたのでしょう。
「騎士」ということを考えると、フランスやイギリスなどヨーロッパが発祥と考えるのが自然ですね。
特にフランスは、今でもハグの文化が残っているので、発祥の地としては有力でしょう。
イタリアもそうです。
イタリアは「愛の国」と言われるほどスキンシップが盛んに行われています。
ハグという行為は、もともと死に近い戦場で生まれたと思われる風習ですが、今では真逆の意味を持つ行為になっているというのが、面白いところです。
まとめ
今回は、ハグという行為について綴ってみました。
肌の触れ合いが伴う行為で、「これから積極的にハグをしていきましょう」とは言いづらいものです。
しかし、日本でもハグという行為が認められてきているように思います。
フリーハグの普及が、その具体的な例でしょう。
風習として根付いていくかと問われれば難しいところですが、フリーハグのようにイベントとして根付いていく可能性は高くなることでしょう。
ハグが既に存在する国と日本とでは、価値観が異なります。
海外の場合は、スキンシップが盛んに行われており、肌が触れ合うレベルの挨拶は当たり前に行われています。
しかし、人との距離感を重要視する日本では難しいのです。
ハグと聞くと、恋人と行うようなイメージがあるのもそのためですが、日本では正直なところ、恋人関係でもそこまで頻繁にハグをするわけではありません。
海外では公衆の面前で、友人同士とでもハグをしてしまうのがすごいところです。
また、海外で出会った人との別れ際にハグを求められると、日本人の場合はやはり困惑してしまうものです。
それが同性でなく異性なら、尚更ですよね。
ハグは、人間の心を落ち着かせるのに有効な手段の一つです。
イベントのように、フリーハグの場が街中で当たり前のように存在するようになったら、疲れた心を癒すために、マッサージにでも行くような感覚でフリーハグをするというような状態になっていくかもしれません。
心を癒すためのサービスとして存在するフリーハグを活用する社会というのは、今よりも少し、生きやすい社会であるのではないかと私は思います。